家を建てる技術を伝える
前理事長・松村賢治は、建築家でした。だから村へ持ち込んだのは、物ではなく、家の建てかたそのものでした。
その技術は、いま村に根づいています。村の人たちは自分で木を切り、自分で家を建てます。そしてその腕を、周りの村からの仕事として請け負うまでになりました。
渡したものが、村の中で仕事に変わる。この村との歩みで、いちばん大きな成果はこれだと考えています。
ACTIVITIES
石けんづくりも、炭づくりも、家を建てることも。この村で必要とされたことが、そのまま協会の活動になりました。
これから、この村を歩きながらご紹介します。
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いま立っているこの場所が、私たちの活動のすべての出発点です。
ヤシの林を抜けると、砂の道が続きます。その両側に、高床式の家。庭先には鶏がいて、少し歩けばもう海です。
村の人たちの暮らしを支えているのは、農業と建築です。ブアイ(ビンロウの実)やバニラビーンズ、カカオを育てていて、いまは建築の仕事もしています。
| おもな生業 | 農業(ブアイ・バニラビーンズ・カカオ)/建築の仕事 |
|---|---|
| 住まい | 高床式の家 |
| 村のようす | すぐ目の前が海。ヤシの林のあいだを砂の道が通っています |
夜は暗く、灯りは月と星です。
そして——現金収入につながる仕事が、限られています。
この村がずっと抱えてきた課題は、そこにあります。
パプアニューギニアには数多くの村がありますが、その中でもソワム村は際立ってきれいに保たれています。
誰かに言われたからではなく、自分たちで環境を守っている。
——ここに、この村と一緒に何かを始められる理由があると考えています。
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いまあなたが辿った道を、協会は何度も往復してきました。
— 積み重ねてきた記録から —
ヨットで世界を巡った前理事長・松村賢治が、「国どうしではなく、人と人でつきあう場を」と考えて立ち上げました。創立の経緯はこちら。
協会はこれまで18回にわたってソワム村を訪ね、「この村をどうすればいいのか」を村の人たちと一緒に考え、寝起きをともにしてきました。
初めて会ったときは子どもだった人が、いまでは父親になり、母親になっています。その時間の長さが、この村との関係のすべてです。
通い続けてきた年月のなかで
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最初から計画があったわけではありません。「いまここで何が必要か」に応えるたび、活動が増えていきました。
前理事長・松村賢治は、建築家でした。だから村へ持ち込んだのは、物ではなく、家の建てかたそのものでした。
その技術は、いま村に根づいています。村の人たちは自分で木を切り、自分で家を建てます。そしてその腕を、周りの村からの仕事として請け負うまでになりました。
渡したものが、村の中で仕事に変わる。この村との歩みで、いちばん大きな成果はこれだと考えています。
村にある素材から石けんをつくり、収入につなげる技術を伝えてきました。仕事の少ない村で、現金収入の手立てをつくる取り組みでした。
いまは行っていません。石けんづくりに欠かせない炭酸ソーダを手に入れる経路が、途絶えてしまったためです。州都ウェワクでは手に入らず、一時はインドネシアまで買いに行っていました。
材料が現地で調達できるかどうか——それが続けられるかどうかを分けます。ここで得た教訓は、次の取り組みに活かしています。
パプアニューギニアには、もともと炭を使う文化がありませんでした。そこで、使い終わったドラム缶を再利用する「エコ炭」づくりを技術指導しました。
いまの使いみちは、燃料にとどまっています。床下の乾燥にはまだ取り組めておらず、土をよくするための使い方は提案した段階です。指導は道半ばで、実践にはまだ至っていません。
医療機関の少ない地域で、手当てや衛生のための支援を行ってきました。生活支援物資(衣料品・文具・日用品など)の送付も続けています。




技術を学ぶ、手当てをする、集まる
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新しいことを始めるのではなく、村がすでに持っているものを活かします。
高校までは政府の援助があり、学費はかかりません。しかしその先へ進学できる家庭は限られています。村の中で現金収入を得られる働き口も、多くはありません。
やる気のある若い世代は多い。けれど、その力を活かせる働き口が少ない。
だから私たちは、その一歩を踏み出せる場をつくりたいと考えています。
パプアニューギニアの女性たちが手で編む伝統のかばん「ビルム」を、村の仕事にしていきたいと考えています。
2027年、ソワム村にゲストハウスを建てたいと考えています。建築の技術をお持ちの方で、ボランティアとして参加してくださる方を募集しています。
村の女性も巻き込みながら、仕事をつくっていく。
新しいことを始めるのではなく、
これまでやってきたことを活かす。
これが、ASPAがこれから続けていきたい
お付き合いの形です。
この村に、電気は通っていません。夜は暗く、時計を見ながら動く暮らしでもありません。
朝は日が昇れば始まり、夜は日が沈めば終わる。月が満ち、欠け、また満ちる。潮が満ちて、引く。月と太陽の動きが、そのまま一日と一年のリズムになっています。
旧暦は、まさにその暦です。月の満ち欠けと太陽の運行を、両方とりいれた「太陰太陽暦」。日本でも明治5年(1872年)まで、人々はこの暦で暮らしていました。
私たちが毎年、旧暦カレンダーを発行しているのは——南太平洋の島々で教わったこの感覚を、日本の暮らしにも取り戻したいからです。遠く離れた村に流れている時間と、かつて日本に流れていた時間は、同じところから来ています。
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この村へ行くことだけが、活動ではありません。
現地では電気・水道・ガスが完備されていない環境も少なくありません。渡航前に自然に慣れ親しむため、国内でカヌー川下り、ヨット・ダイビング教室、キャンピングなどの活動を行っています。
阪神・淡路大震災で得た教訓をもとに、被災地の支援活動を行っています。生活支援物資(衣料品・文具・日用品など)の送付も継続しています。
SUPPORT
ひとつの村へ通い続けることも、旧暦カレンダーを届けることも、会員の皆さまに支えられています。